茂木健一郎 検察の権威失墜と鳩山・小沢への不可解対応指摘 2011.01.05 17:00
2010年を振り返ると、「激動」の年だったように感じる。必ずしも、大きな事件があったという意味ではない
。これまでの私たちの世界についての認識を変えるような、さまざまな変化があったという意味においてである。
たとえば、「国家」というもののあり方の様々な側面。私が子どもの頃は、検察というものは無条件に
「正義」であり、悪を暴くのだと信じていた。時代の推移の中でも、そのような前提は、多かれ少なかれ
保たれてきた。ところが、今年起こった一連の出来事を通して、検察に対する信頼は地に堕ちた。
極端な立場をとる人たちの間のことではない。ごく良識的な人たちの中でも、「検察の言っていることは、
本当にそうなのか」という疑いが生まれてきたのだ。
変化への胎動は、鳩山由紀夫氏や小沢一郎氏にかかわる「疑惑」報道あたりから始まっていたのか
もしれない。「政治と金」の問題は多くの議員について存在するはずなのに、なぜ、政権交代を果たし
たばかりの党の二人の代表者に向けてだけ、その追及がなされるのか? どう常識に照らし合わせて考えてみても、
間尺に合わないと感じられた。
検察に対する不信の目と同じような視線は、同時に、これまで警察や検察の発表をある意味では「そのまま垂れ流し」してきた、
新聞やテレビといった伝統的なメディアに対しても向けられた。とりわけ、「記者クラブ」に象徴される閉鎖的な体質が、
批判の対象になったのである。国家の正義を実現するはずの「検察」という組織、公益のために、報道
を行なうはずのメディア。これらの、いわば「社会の秩序」を担う実体に対する信頼感が低下したことが、
2010年の最大の出来事の一つだった。
権威が低下したのは、検察やメディアだけではない。毎年、その時期になると「合格者数高校別一覧」が報じられる東京大学。
しかし、気付いてみれば、東京大学に入るのは、ほとんど日本人しかいない。
東京大学をはじめとする日本の大学は、「ガラパゴス化」している。そのような認識が、急速に広がった年だった。
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